【あの有名絵本の解釈が変わる!?】死んだ山田と教室/100万回生きたねこ

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こんにちは、トロピコです。
みなさんは、「成仏する」ための条件を、どのようにお考えですか?
仏教における煩悩だの解脱だの、そういった解釈にはこだわらずに
「亡くなったあと、安らかに旅立つ」くらいの感覚でとらえていただけたら。
今回読んだ本は、こちらです。
死んだ山田と教室/金子玲介
不運にも事故死したクラスの人気者・山田が、なぜか教室のスピーカーになってしまうという、ちょっとどうやって構えたらよいのか分からないストーリーです。
山田はスピーカーに憑依してみんなと一緒に楽しく過ごし
やがて辛かったり、悲しかったり切なかったりもしつつ
でも高校生特有のアホらしさにも満ち溢れていて、愉快で読みやすく。

誕生日プレゼントの無限リピートっぷりが、むちゃくちゃリアルに高校生で良かった~。
そして、とてもとても!!良い終わりかたをする本でした。
死んだ山田~のネタバレをするつもりはありませんが、この先、勘の良いかたは
山田ラストを察してしまうかもしれませんので、ご自身の判断で先にお進みください。

…さて!! 話題はこちらの絵本に移ります。
100万回生きたねこ/佐野洋子
この本はもう、有名すぎて、ネタバレも何もないという前提で。
死んでも死んでも生き返っていたとらねこが、最後に野良猫として家族をもって一生を終えたあとは、もう二度と生き返らなかった理由を私は

あの世には、先に旅立った妻ねこがいるから、あの世で一緒に幸せに暮らしているのかな?

毎日幸せに過ごして、人生(ねこ生?)に満足できたから、もう生き返る必要がなくなったのかな?
などと思っていました。
でも、死んだ山田~を読んだあとに、これまでの解釈がなんとなく違うような気がして。

これまできちんと成仏できなかったのは、生きることを軽んじていたとらねこに対する“罰”だったのでは?

まだまだ生きたいと願うほどに、とらねこが生きることを大切にしたからこそ、きちんと成仏することができたのでは?
どうなのでしょう。
私は、生きる理由とかそういうことは考ず、のうのうと生きているタイプですし
信仰も特にない典型的な日本人なので、このあたりのテーマは知識が非常に乏しいです。
この投稿も、「なんだか解釈が変わったような気がします」程度にしか書けなくて
うまいことまとめられないのですが。
やりたいことはやって、悔いなく生きて、いつかきちんと人生を終えらえるといいな、と思いました。
ただでさえ毎日ガミガミ口うるさい私が、没後スピーカーに憑依したら、相当に厄介ですし。


